リハビリテーションにおける本人の要望は様々だ。
ベッドから立てるようになりたい。歩けるようになりたい。
ベッドから立てるようになりたい。歩けるようになりたい。
しかし、本当にそうなることが目的なのだろうか?
その行為自体ができるようになりたいのか…
本来、「立つ」「歩く」という動作は何か目的を達成するための繋ぎの動作である。
例えば、ベッドから車いすに移るために立つ、トイレへ行くために歩くといった本当の希望が隠れていることが多い。
本人の目標や要望は本人とセラピストでちゃんと共有し合えなければ、リハビリテーションは曖昧なものになる。
目標が明確にならないと、そこまでの道筋や計画が立てられない。
しっかりとした評価、計画があってこそ、リハビリテーションは成り立つ。
そして、それを共有するのは家族や周囲への理解も同じである。
訪問リハビリテーションでは、散歩をする場面がよくみられる。
何のために散歩をするのか。。
体力をつけるため?一人で散歩できるようにするため?リハビリのとき位しか散歩にいけないから?
セラピストと散歩をしている姿を家族が見て、家族は何を思うのだろう?
ただ散歩してるだけじゃん!と思われてしまえばそれまでである。
一緒に散歩しているセラピストからすれば、その散歩にいろんな意味が含まれているのだろう。
しかし、他人が見れば、ただの散歩。
セラピストの思惑や考えを伝えるために、コミュニケーション力は必須の要素である。
どの分野においても、どんなにいい技術を持っていても、お互いの意志やおもいが共有できていなければ、それはただのエゴである。