来たるべき超高齢化社会に向けて、医療業界は変革の時代を迎えている。
病気になったら当たり前のように病院へ行く。
何のために病院へ行くか?もちろん、病気を治すためだ。
人はいつか死ぬ。どこまで生きようが必ず死ぬ。
死はすべての人の共通点である。
みんな死ぬのは怖い、嫌だ、生きたいと願う。
人の思いと飽くなき探求心が平均寿命を上げ、これから迎える超高齢化社会のベースを作った。
しかし、今の社会保障では当然この超高齢化社会を支えきれない。
2025年に向けて、国は医療費を削減し、国の予算の半分を占める社会保障費を減らしていかないといけない。
国は、最期の1日を1時間延ばすために大量の医療費をかけるか、最後の1日をより濃密な1日にするために環境を整えていくか、どちらを選択すると思いますか?
国が選択するのは後者である。しかし、生や死への流れ、風習、考え方を変えるのは非常に難しい。
当たり前である。若いときは、誰もが「病院」は「病気を治す場所」であったはずなのだから。そして、病院側からの反発も強い。
高齢者の方々が最期の1日をよりよく過ごすための手段や環境を整えていくことと、人の生や死への固定観念を変えることはどちらが重要なのか?
この両者は「手段」と「概念」である。「概念」から「手段」は生まれる。
「支える医療」の実現に向けて、「概念」である人の生や死への固定観念を変えることが最重要課題なのではないだろうか?